『逝きし世の面影』明治以前の日本文明は死滅したか
『逝きし世の面影』渡辺京二著を紹介します。
ブ厚い本です(約600ページ!)。
頑張って読みました。
明治とか大正に日本を訪れた外国人の(膨大な)著作を通して、
当時残っていた「江戸文明」「徳川文明」を客観的に著そうという本です。
第一章「ある文明の幻影」から第十四章「心の垣根」まで、
合計十四章で構成されています。
目次を見返して、なんとなく読んだ内容を思い出すのは以下の章です。
第二章「陽気な人びと」
第六章「労働と身体」
第八章「裸体と性」
第十章「子どもの楽園」
第十一章「風景とコスモス」
当時の外国人にとって、日本人はすごく陽気で、幸福そうに見えたみたいです
(今の日本人はどうでしょう?)。
本当にいろんな人が、日本人の陽気さ、幸福そうだという印象を書いています。
『日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる(オールコック)』
『人びとは幸福そうで満足そう(ペリー)』
『この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である(ボーヴォワル)』
当時の日本の庶民は決して豊かではありませんでした。
むしろ貧しく、質素な生活をしていたけど、不幸ではなかったようです。
欧米やアジア(というか世界じゅう)の国々では、貧しい=貧困=不幸というのが常識だったけど、日本では貧乏人が幸福そうで、外国人は驚いたようです。
幸せの国・ブータンなんて目じゃないぐらい、幸せ大国だったのかもしれません。
第六章「労働と身体」では、日本人の労働について書かれています。
意外なことに当時の日本人は、ものすごく暢気(のんき)だったみたいです。
『日本の労働者は働く時は唸ったり歌ったりする(モース)』
『ちょっとでも動いたり努力したりするまでに、一分間あるいはそれ以上のあいだ歌を唄う(モース)』
『日本人の悠長さといったら呆れるぐらいだ(カッテンディーケ)』
『必要なものはもつが、余計なものを得ようとは思わない。大きい利益のために疲れ果てるまで苦労しようとしないし、一つの仕事を早く終えて、もう一つの仕事にとりかかろうとも決してしない(ブスケ)』
ということで、当時の日本人は「生産性」なんてあんまり考えていなかったようです。
何かちょっとうらやましいですね。
しかし、ただ悠長なだけではなく、行商人や荷車を引く人夫などのたくましさについての記述もあります。
また指物師や大工などの職人たちの熟練具合も相当なものだったようです。
職人技なんかは、現代の日本にもまだ辛うじて残っていますね。
「子供の楽園」の章も、読むと心が温かくなる感じです。
その中でもっとも印象深かったのは、英国領事ホジソンが娘たちのために雇った「おばさん」のエピソードです。
娘たちがタバコを吸っていたのがバレバレなのに、『自分だけが吸っていた』と釈明したり、池に突き落とされたのに、『落ちたのは自分の過ち』で『子供を助けるために思いつくかぎりのことを喋った』
ということです。
確かに昔の日本にはそんなおばさんがいたかもと思って、涙が出そうになりました。
あとは、日本の風景や植物、日本人の動物たちに対する優しさなどもたくさん書かれています。
当時の外国人が日本人や日本の風景を描いたスケッチが挿絵として登場します。
日本に魅了された外国人の気持ちが伝わってくるようでした。
是非読んでみてください。